昭和44年11月15日 夜の御理解



   (出だし途中から)
 という事に、まあなった訳ですけれど。この事がお取次ぎを頂かれて、お願いをしておられて。私その、今晩不意を討たれたようにビックリした事は、ご霊前に出らせて頂いたら、第一桂先生、福岡吉木先生、石橋先生、私の手続きの関係全部。三井教会の初代の先生が、このお祭りを、お取次ぎを願われたところから、あの、それだけのあの、例えて言うなら、ならこの辺のお祭ならお祭を仕えます時、近所の先生方が出てみえるようにですね、ちょっと出て見えておられる事ですね、この場に。
 もう私は、本当に面食らいましたが。例えばあの、剣の道なら剣の道という物が、だいたい身に付きますと、不意にどこから襲われて参りても、例えば、なら何も持たなくても、素手でもこうやって、身構えっていうものを致します。けれども、やっぱりいくら身構えたところでですね、相手が長い剣を持って打ちかかって来るなら、やはりもう、分はこちらには、もうない訳ですよ。
 いくら、構えだけは出来て、出来ても。その、やはり剣を持った方が勝つようにね。今晩のお祭を言うとですね、何ち言うでしょうか。まあ不意を討たれて、長剣で向かわれたのに匕首を抜いて構えたという感じですね。その身構えは見事でした、けれども勝ち目はないといった感じ。これは神様にお礼を申し上げる時に頂いた事でした。ですから、例えて言うとですね。
 昨日でしたかね、今朝でしたか。吉井の熊谷さんがお届けしておられましたが。その、難儀な事に直面したから思うのじゃないけれど。とにかく、もう最近思わせて頂きます事は、信心を頂いておるという事が、もうこのようにも有り難い。もう何もいらん気がすると。もう本当に四畳半一間に座らせて頂いてもええ、この有り難さが分かって行くならばと言うて。本当に私は同感だと。
 これは私が椛目時代にいつも、あの私の控えの四畳半がありましたが。もう本当にいつでもこの四畳半に座っていいと自分で思うて。神様が小さい床の間にお祭してあって、それが、あれが出けて。そこで、人がどんどん助かって行きさえすりゃ、もう四畳半だけでいいっていう気がする。だから問題はそれをね、神様は願われるのであり、求められるのだとこういう事ですよね。
 ですから、例えば末永さんなら末永さん、今日はおじいさんのお立ち日だと。本当にあの、誰も知らんでもええ、誰も知らんでええ。自分一人であの、本当にささやかながら、それこそお神酒がないならお水でもええ。生魚がないなら、いりこ一匹でもええ。で、もうひそかに、その有り難いものだけで仕える。これならもう、完全な、「   」出来るんですよ。ですけれどもね。
 今日の場合は、まあ素手でこう受けたというその、身構えで身支度が出けたというんじゃないけど。まあ、匕首で構えたという感じですから、何とはなしに、やはりこう勝ち目がないという感じですよね。例えば、今日あたりのこの、お取次ぎの働きというか、こうして、末永の初代の御霊の立ち日にこうして、孫、子達が集まって、ささやかながらお祭を仕えるというその事が、まあちょっとお届けになられて。
 その事が、もう第一、桂先生、吉木先生、もう皆も煩わせたという感じがする。言うなら、今日私共が大祭ですからと、ご案内をしたら、ちゃんと装束を持って先生方が集まられるようにです。いやあ、先生もうそげなつもりじゃなかったですけれども、というような感じだったですね、今日のお祭は。これはもう、本当にあの、特に私はね、御霊様のお祭はもう、何時も私が申しますように、神様より一番ひしひしと感ずるお祭なんです、御霊のお祭というのは。
 それはとてもいい加減な物やらは全然あっちゃならないです。例えて言うならばもう、もう言うなら赤の他人なんか入られんです、本当言うたら、御霊様のお祭には。そういう、まあ思いが、こうしたお祭に、お祭というか、こういう事にならせて頂いて。果たしてそのお祭の頂いて、お祭を通して分からせて頂いた事は只今のような事でしたですね。とにかく、もうこの神様はね。
 こうしなければ御霊様は喜び「なされんつが」絶対ないという事で、あの熊谷さんが言われるように、何もいらんと思いますと、四畳半一間にでもいいと、この有り難い信心さえ頂いておったという事が。だからもうなっもう御霊様も同じ事。何もいらんてその心が本当に、私が信心を頂いて、そして子供に孫にこれが伝わって、その信心をこのようにも有り難い物にして行っておるという事、それだけでいいと。
 まあ言われる「なり、言われるとこじゃ?」。ところが、やはりちょっと大げさすぎたという感じですね。大げさ過ぎたというか何ち言うか。それはお祭に大げさなんかって全然ないですよ。ないけども、ほんの信心のその辺に対してですたいね。まあ言うならば、いやあ、もう桂先生辺りまでは、御足労願わなくても良かったといったようだけれども。ちゃんとお届けをしておるから、ちゃんと、御霊様の方では正式にそれを受けておられるというような感じでございましたですね。
 いよいよ、本当のものを育てて行くということ。もう何もいらん、この喜びをおじいさん、残しておって下さったという事だけが私共にとって心情であり、また本当に信心を頂いておった事が有り難いんだという事。それから他にね、頂いた事があります。それはあの、釣りざおで魚を釣ってるんですよね。ところが、この大きな岩に引っかかってからですね、こう弓なりのようにこう。
 魚がかかってるのじゃないこう弓なり、大きな岩に石に引っかかってる訳ですね。それでも一生懸命力むから、一生懸命に頑張るから、やはりおかげは下さったと。そして、何かいかにも、鯛が踊っとるような感じで出けた昔あの、長島の鯛てありましたよ。長島ち言うのは、氷砂糖で作った赤くに塗った鯛が、こう跳ねとるようにしてですね。それにかかって、かかってるのじゃない、かかってるのじゃない。
 本当はここの釣り場を変えなきゃいけない。ここでは、こんな石が多い所でその、おかげが釣れるはずはない、釣り場を変えなきゃいけない。これは神様の方にね、これは私また深く頂かせて頂いたらいいと。そんな事を今日は頂かせてもらったですね。これは末永さんの里の事だと思うね、今日の御霊のお祭に関して、御霊様が願うておられる事。けれども、ここで末永さんが修行させてもらう、古屋さんがここに御神縁を頂かれたという事は、御霊ながらにお喜び頂いとる事だけは間違いないですね。
   どうぞよろしゅうおかげを頂きますように。